以下文章來自於電子信箱裡轉寄來的郵件,譯者:陳炯霖。為了方便語文學習,按照慣例我又將中、日兩篇全文合併,以相互穿插的模式來做分享,
「身為一個非現實的夢想家」 村上春樹
(「非現実的な夢想家として」核能反省2011.06.09西班牙)
我上次造訪巴賽隆納是兩年前的春天,當時的簽名會擁入大批讀者,令人吃驚。冗長的行列竟使參加民眾要排一個半小時才能取得簽名。為什麼要花這麼久的時間呢?因為有許多女性讀者要求與我親吻,簽個名得花上一番功夫。
我在世界各個城市舉辦過簽名會。但被女性讀者索吻的,世界上只有巴賽隆納而已。從這點看來,就能知悉巴賽隆納是個不凡的城市。今天我能夠重返這個擁有古老歷史及高度文化的美麗城鎮,感到自己相當幸福。
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
但很可惜的是,今天我要說的,不是有關索吻的故事,而是一些稍微沉重的話題。
各位都知道,已消逝的3月11日午後2時46分,日本的東北地區遭受巨大地震侵襲。地球自轉甚至因這場前所未有的地震而變快,一天的時間縮短了百萬分之1.8秒。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1・8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震帶來了龐大災害,之後來襲的海嘯,也在大地上留下了慘不忍睹的傷痕。有些地方的海嘯達到39公尺。39公尺,是在一般大樓飛奔上10樓,也不一定能夠獲救的高度。沿岸地區的人們逃生不及,將近有兩萬四千人犧牲,其中有九千人失蹤。他們被超越堤防的巨大海浪侵襲,至今仍然尋找不到遺體。或許有許多人就這樣沉沒在冰冷的大海吧?當我想到這些事,想像自己如果是他們的時候,胸口就不禁絞痛起來。活下來的人,也大多失去了家人或親友,失去了家園與財產,失去了生活場域,失去了生活重心。甚至也有被連根拔起,消失得一乾二淨的村落。也有更多人,被徹底剝奪了生存下去的希望。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
身為日本人,似乎就意味著自己必須與許多自然災害共存。日本國土的大部分,每到夏天至秋天,會成為颱風的必經之路。每年都有颱風帶來莫大的災害,並失去許多性命。此外在各地也有活躍的火山運動,更不用說地震。日本列島位於亞洲大陸東隅,就在四個巨大板塊的交界處上。我們常說,自己就像是在地震的巢穴生活一樣。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
颱風來襲時的日期及行徑能被預測,但地震卻沒有辦法。我們只能知道一件事,這次地震絕不是最後一個。在不久的將來,一定會有下一個大地震發生。有許多學者預測,未來20年到30年內,東京周邊的地區將發生芮式規模八以上的大型地震。它可能是十年後,也有可能是明天下午。如果在東京這個人口密集的巨大都會,發生垂直型地震的話,到底會造成多少人被害呢?沒有人能估算出正確數字。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
儘管如此,目前東京都內仍有一千三百萬人口過著「普通的」日子。人們依舊乘著擠滿人的電車通勤,在摩天高樓上班。這次地震過後,從未聽聞東京人口有減少的情形。
為什麼?或許你會想問這句話。為什麼在這麼可怕的地方,仍然有這麼多人理所當然地生活著?他們不會因恐懼而瘋狂嗎?
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日語裡有句話叫無常(mujo)。它的意思是,一直持續的狀態並不等於唯一的常態。生活在這個世上的萬物總有一天都會消逝,所有的事物將馬不停蹄地持續變換。沒有永遠的安定,也沒有不變不滅的事物能讓人依賴。這是從佛教起源的世界觀。日本的「無常」這個想法,雖跟原來的宗教脈絡有些許差異,但深植在我們心中。從古代開始就幾乎不見改變地被傳承下來,成為民族的精神結構。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「所有事物終究都會消逝」這個觀點,換句話說就是個消極的世界觀,人類再怎麼抵抗大自然的潮流都是無用的。但日本人卻反而在那消極之中,積極地找出了美學。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
說到日本的自然,我們在春天時迎接櫻花盛開,夏天觀看螢火蟲,到了秋天可欣賞紅葉,這些觀賞自然的行為,可說是具有集團式、習慣性的,人們明知道自己在重覆同樣的事,卻還是熱心地去參與。賞櫻名所,賞螢名所,賞楓名所,每到季節來臨就會擁擠不堪,連旅館都很難預約。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
為什麼呢?
因為不管是櫻或螢或楓,都會在極短的時間內失去它的美麗。我們為了目擊那一瞬間的光彩,路途再遠也願意前往。那裡存在的不只是純粹的美麗,人們親眼確認它們失去小小的光芒,看到鮮艷的色彩在眼前凋零,就會不自覺地鬆一口氣。當人們目睹一場美麗的盛宴消逝時,反而能找到安心感。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
這種精神性到底有沒有影響到日本國民對自然災害的看法,我也不知道。但我們確實是在從不間斷地自然災害中,越過一道道關卡,接受一切都是「沒辦法的事」,集團式的克服困難生存下來的。或許這種共同經驗,影響到了我們的美學意識也說不定。
這次的大地震,幾乎所有的日本人都受到相當劇烈的打擊。連平常習於地震的我們,看到這次的大規模災情,直到現在仍然心存恐懼,抱持著無力感,並對國家的未來感到不安。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
但不管怎麼樣,我們仍必須重新整理精神,邁向復興之路。關於這一點,我並不特別擔心。因為日本人就是這樣超越艱苦,寫下悠久歷史的民族。我們不會一直停留在恐慌中,倒塌的房屋可以再蓋,崩塌的道路可以再修。
說到頭來,我們只不過是在地球這顆星球上恣意地借住罷了,我們從來沒問過地球要不要讓我們住。所以當它晃幾下時,我們也沒資格抱怨,因為地球本來就會搖晃。一切非關喜惡,我們只能與這樣的自然共存。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
在這裡我想說的是,一個跟道路或建築物不同,無法簡單修復的東西。例如說倫理,又或者是道德規範。這些概念不是具體事物,一旦毀損就無法輕易地恢復原狀。並不是準備好機器,召集人手及物資就能處理的事情。
我要說的是,更具體一點來說,就是福島核電廠的事情。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
恐怕大家也知道,福島因為地震及海嘯侵襲,六座原子爐起碼有三座已無法修復,而且現在仍持續向周邊散發出輻射線。爐心熔毀了,附近的土壤被污染,含有高度輻射線的污水被排放至近海,風也將輻射搬運至更廣域的地區。
有近十萬的人們,被迫從核電廠周邊地區撤離。農田、牧場、工廠、商店街及港灣,全部成為無人地帶。曾經住在那裡的人,或許這輩子再也沒有機會回去了。災情不只限於日本國內,非常抱歉的是,輻射對鄰近諸國也造成了影響。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
為什麼這種悲劇會發生?其原因已經證實了。蓋核電廠的人們,從來沒想過會有這麼大的海嘯會來。雖然有少數專家一直持續警告,該地曾有類似這次的大海嘯來襲,要求重新檢討安全標準。但電力公司從不把它當一回事。為什麼呢?因為為了個幾百年也不一定會來一次的大海嘯做巨額投資,是件不受營利企業歡迎的事。
我們也能看到,理應嚴格看管核電安全的政府,為了順利的推行核能政策,不斷地降低安全標準的水平。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我們必須查明所有事情,如果確有過失,必須讓所有資訊公開。因為這些過失,起碼讓十萬以上的人們,不得不捨棄自己的土地,改變自己的生活。我們必須為此憤怒,這是理所當然的。
不知道為什麼,日本人本來就是個不太生氣的民族。我們擅長忍耐,卻不知道該如何將感情爆發。關於這點,或許跟巴賽隆納的市民有些不同。但這一次,我想日本國民真的生氣了。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
在那同時,我們也不得不對「允許這個扭曲的社會結構存在至今」的自己深切反省`。因為這次事故,與我們的倫理規範具有深刻的關連性。
大家都知道,日本是史上唯一遭受過核彈攻擊的國家。1945年8月,美軍轟炸機在廣島與長崎兩個城市投下原子彈,總共有20萬以上的人命犧牲。死者幾乎都是非武裝的一般市民。在此我們先不討論核爆的是非問題。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
我想說的是,死掉的不只是爆炸瞬間的那20萬人,有更多殘存下來的人,在那之後苦於輻射被曝症狀,在漫長的歲月中逐漸死去這件事。核彈的破壞性有多強,輻射對這個世界,對於人體會留下多麼深的傷痕?透過這些犧牲者,我們學習到了這些事。
戰後的日本朝向兩個大方向前進。一是經濟復興,另一個是放棄戰爭行為。無論發生什麼事態都不再使用武力解決,經濟要富裕,祈求和平,這兩件事成了日本這個國家的新指標。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
在廣島的原爆死沒者慰靈碑上,刻有以下一段話:
「請安息吧!因為我們不會再犯同樣的錯誤。」
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
這句話很好。我們在身為被害者的同時也是加害者。這句話具有這個意含。在核子這個壓倒性的力量之前,我們每個人都是被害者,也是加害者。因為我們無法遏止敵方使用這種力量進行攻擊,所以我們每個人都是加害者。
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
在核彈投下經過66年的今天,福島第一核電廠,在這三個月持續釋放輻射,污染周邊的土壤、海洋及空氣。到底該怎麼把它停下來?還沒有人知道方法。這是我們日本人在歷史上體驗的第二次大規模核災,但這次並不是有誰把炸彈丟下來,我們日本人自己蓋起了核電廠,用自己的雙手犯下過失,損毀了我們自己的國土,破壞了我們自己的生活。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
為什麼會變成這樣?戰後我們長期對核子抱持的否定感,到底是從何時消失的?我們一直以來追求的和平富裕的社會,到底是被什麼侵蝕、扭曲的呢?
理由很簡單,就是「效率」。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
電力公司告訴我們,原子爐是高效率的優良發電系統,也就是能賺取利益的系統。而日本政府在石油危機以後,對原油供給的安定性存疑,轉為以核能發電為主的國家能源政策。電力公司以大筆金錢宣傳、收買媒體,將核電是個發生任何事都能確保安全的幻想,深植入國民的腦中。
當我們意識到時,日本的發電量已有約30%皆倚賴核能發電。國民們大都不知道,這個地震頻繁的狹小島國日本,竟成為世界上第三多擁有核電的國家。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
事情演變到這個地步也無法回頭了。依賴核電成為一個既有事實。對那些為核電安全感到不安的人,我們就以威脅的口吻質疑他「那你覺得電不夠用也沒關係嗎?」在國民之間彌漫著「依賴核電是沒辦法的事」這種氣氛。在高溫多濕的日本夏季,不使用空調是件形同拷問之事。因此,對於這些對核電存疑的人們,我們把「非現實的夢想家」這張標籤貼在他們身上。
就這樣,我們遭逢了今天這個困境。原本應是高效率的原子爐,如今仿如打開了一道通往地獄的門,陷入了悽慘狀態。這就是現實。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
贊成核電的人一直以來主張「我們要認清現實」。但那所謂的現實並不是現實,只不過是表面的「方便」罷了!但他們卻把方便,用「現實」兩個字替換,製造出一個似是而非的理論。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
在這個日本長年誇耀的「技術力神話」崩解之時,同時也是長期容許這種「替換」行為的日本人的倫理規範敗北之際。我們批評電力公司,批評政府,這是理所當然的事情,也是必須要做的事情。但在這個同時,我們也必須告發自己,我們雖然身為被害者,也同時是加害者。我們必須嚴正地檢視這個事實。如果不這樣做,或許我們又會再度重覆同樣的失敗吧!
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「請安息吧!因為我們不會再犯同樣的錯誤。」
我們必須將這句話再次深深地刻在心裡。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
原子彈之父羅伯特‧奧本海默(J. Robert Oppenheimer)在知道廣島、長崎的慘狀之後,受到很大的打擊,對杜爾門總統說了這句話:「總統,我的雙手沾滿了鮮血。」
杜爾門總統從口袋中拿出一條摺疊整齊的白手帕對他說:「拿這個擦了吧!」
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
但是任誰都知道,世上再怎麼找,也絕對找不到能把那樣的血擦乾淨的手帕。
我們日本人必須持續向核能喊「No」。這是我的意見。
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我們必須集結技術力,匯聚所有智慧,投入社會資本,舉國開發出能代替核能發電的有效能源。就算世界上有人嘲笑「沒有像核能這麼有效率的能源了。不用它的日本人是笨蛋」。擁有核爆經驗而對核能過敏的我們,也絕不能妥協。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
日本本應在戰後發展不使用核能的能源開發,因為這是對廣島與長崎犧牲者的一種集團式的負責態度。日本需要以此理論作為根本的倫理規範,也需要這種社會訊息。非核能源的開發,本應是日本對世界付出真正貢獻的一個絕佳機會,但我們卻在急速經濟發展的路上,被「效率」這個安易的基準影響,失去了重要的發展方向。
就像前面說的,儘管是再悲慘及嚴重的自然災害,我們都能跨越。再說如果能克服這道難關,人們的精神也可能變得更加堅定。所以我們再如何也必須完成這個任務。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
損壞的道路或建築物的修建,是技術者的工作。但損壞的倫理及規範的再生,卻是我們全員必須共同擔負起的任務。我們緬懷死者,憂慮苦於災害的人們,不願讓他們遭受的痛苦及傷害無端白費。這種自然的情緒,將有助於我們完成這個任務。那會是個乏味且沉默,需要忍耐的原始作業。就像在晴朗的春晨,一個村落的人們一起走向農田,耕土播種,結合眾人的力量完成一件事一樣。每個人盡自己的力量付出,並且團結一致。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
這個大規模的集體工作,在我們這些以語詞為專業的職業作家身上,也應該有相當程度的關連。我們要使用新的詞彙,闡述新的倫理與規範,生產充滿生機的新故事,讓希望在那裡萌芽,竟而奮起。這會是個我們能夠共有的故事,它會像人們一邊種田哼歌的時代一樣,成為一個人們互相勉勵互助的故事。我們在過往,就像是那個從戰後廢墟再生的日本一樣,我們必須回到那個原點。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
就像我剛開始說的,我們活在虛幻變動的「無常」之中。誕生的生命只會持續流動,直到消滅為止。在偉大的自然面前,人類是無力的。這種無常的體認,是日本文化的一個基本概念。但在這個同時,對消滅的事物獻上敬意,安靜地做出在這個充滿危機的脆弱世界裡,樂觀地活下去的決意,這些積極進取的精神性,理應常在我們心中。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
我的作品受到加泰羅尼亞人們的青睞,讓我能得到這個不凡的獎,令我感到榮耀。我們居住的場所相隔甚遠,說話的言語也不同,依歸的文化也不同,但我們卻在這個同時,背負著同樣的問題以及同樣的悲傷與歡喜。我們都是世界市民的一員。就因為這樣,一個日本人作家寫的故事,能被翻譯成加泰羅尼亞語,能被這裡的人們閱讀。我對於能與各位分享同一個故事這件事,感到萬分喜悅。作夢是小說家的工作,但對我們而言,更重要的工作是,與人們共享自己的夢這件事。如果不能體會這種分享,將無法成為一個小說家。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
我知道,加泰羅尼亞的人們在歷史中跨越了許多苦難,在遭受嚴苛考驗時,人們還是堅強地生存,保護了富饒的文化。在我們之間,一定有許多可以一起分享的事才對。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
若是在日本,或者在加泰羅尼亞,你們或是我們都能成為同樣的「非現實的夢想家」的話,一個超越國境與文化的「精神的共同體」將可形成。那會是一件多麼美好的事。我認為,那會是在近年遭遇各種嚴重災害,以及極度悲慘的恐怖的我們,通往再生之路的出發點。我們不能畏懼作夢。我們不能讓我們的腳步,被名為「效率」及「便利」的喪犬們追上。我們必須以堅定的腳步,成為一個不斷前進的「非現實的夢想家」。人終有一天會死亡、消失。但是人性(humanity)會留下來。它將永久地被傳承下去。我們首先必須要相信這股力量。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
話說到最後,這次的獎金,我將全數捐獻給遭到震災及核電事故的受害者們。感謝加泰羅尼亞的人們給了我這個機會,我也想向加泰隆尼亞自治政府致謝,最後,對於之前西班牙洛嘉地區犧牲的人們,敬上最深的哀悼之意。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)
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